数値に裏付けられた安全性 - コミュニティ間での共有によるラボ安全性の向上

Ramesh Durvasula , Information Officer for Research, Lilly Research Labs

化学には危険なときもあります。安全に関する些細な事故であっても、世界中の研究室で多くの人が働いている中では、塵も積もれば山となります。 それぞれの組織には、事故防止のための戦略が用意されているでしょう。しかしそこで収集された安全性データは必ずしも日常的に利用しやすい形で保存されているわけではありません。 科学者がある化合物をこれから使おうとしているときに、いちいち過去の安全性報告書を何千も読むのは、とても現実的とは言えません。 

研究室で働いている人なら、安全に関する事故をきっと何度か目にしたことがあるでしょう。 私も、以前勤めていた研究室で、安全対策の在り方を変えるきっかけとなった出来事があったことをよく覚えています。 ある特許に記載されている反応を実行するには、トリフルオロ酢酸と水素化ホウ素ナトリウムを混合し、ナトリウムトリフルオロアセトキシボロヒドリドの懸濁液を作成する必要がありました。 実は、NaBH4の粉末は急速に溶解することを知りませんでした。結果として、制御不能な反応が起き火災が発生したのです。 ペレット化されたNaBH4を使えば急激な反応は起きなかったでしょう。

この事故は部署の安全説明会で報告されましたが、実際には適切に伝わっていなかったようで、4年後に再び同じような事が起こりました。 そこで、他の研究者が身を持って体験しなくても、安全に関する教訓をより良い方法で把握するには、どうするべきだろうかと考えました。 いろいろ考えた末、このような回避可能な事故を防ぐためには、経験的に得られた安全知識を日常的な研究室のワークフローに直接統合する実用的な方法が必要であることが、明らかになりました。 でもそれは、実際はどのようなものなのでしょうか。  

必要な時に必要な安全情報を

このギャップを埋めるためには、化学者に追加の負担をかけることなく、安全情報を収集し、そしてラボのプロセスに追加する方法を考えなければなりませんでした。 そこでは、3つの変数が考慮される必要がありました。共有される情報、それを提供するタイミング、そしてそれを提供する方法です。

そこで、バリューストリームマッピングを用いて化学者のワークフローを分析しました。安全性情報をいつ必要としているのか、そして実際にはその情報はどのように得られているのか、どのように異なっているかを理解するためです。 一般的に化学者の仕事というのは、まず反応を設計し、材料を調達し、そして最後に生成物の合成を行うという流れになっています。 そこで、最も効果的にするためには、安全性情報は合成の直前に提供されるべきだということが明らかになりました。

そして、安全性データシートや組織内に保管されている情報など複数のソースにわたる情報は、Electronic Lab Notebook (ELN)に供給できることに気が付いたのです。 そうすることで、科学者がある化合物を使おうとすると、そこで「注意!」とポップアップが表示され、例えば手袋を二重にする、安全スクリーンを追加するなど、適切なガイダンスを提供することもできるわけです。 さらに、化学者が問題が発生する可能性がある反応を試みている場合は、安全管理部門にメールでそれが通知され、ベストプラクティスのアドバイスや代替案を積極的に検討できるようにすることもできます。 

アイデアをコミュニティ全体に広める

このシステムを導入することで、事故の再発がなくなりました。ELNを使って合成時に安全上の懸念をシームレスに示す - この戦略は成功したのです。 これは素晴らしいニュースでした。

科学者にとっては、そこが実験台であれ、所属部署であれ組織全体であれ、化学ラボでは安全性が最優先事項です。 このシステムを成功裏に導入した後、同じ戦略を科学コミュニティ全体に広げ、すべての化学者が恩恵を受けられるようにしたいと考えました。 ただ、このシステムを可能な限り効果的にするには、より多くの安全性情報が必要でした。 そこで、あらゆる製薬会社が安全性データを共有できるようなシステムを構築できる組織を探したのです。 つまり、前競争的なクラウドソーシングの化学安全性情報ツールを作る、という構想です。 

Pistoia Allianceは、ライフサイエンスの研究開発におけるイノベーションを促進するために活動しているグローバルな非営利会員組織です。 2017年にここによって、私が以前構築したシステムをベースに、安全に関する事故の防止に役立てることを目的とした「化学安全性ライブラリー」(CSL)が試験的に開始されました。これは、化学分野全般から寄せられた安全に関する事故情報を収集し、その結果集まったデータベースを地域社会で自由に使ってもらうというものです。 そしてプロトタイプを公開したところ、この種のデータ収集に対するコミュニティの関心が非常に高いことがわかったのです。 ただ、同時に事故情報の提供に消極的な人もいました。 理由はさまざまですが、恥ずかしい、機密保持への懸念、データ入力の煩雑さ、といったものもありました。

しかしニーズは明らかです。より多くの貢献者が参加すれば、それだけ影響力も大きくなります。 Pistoia Allianceは、このリソースを普及させ、そして参加を妨げている制限を解決するために、米国化学会で科学情報ソリューションを専門とする部門であるCASと提携しました。そして昨年10月、新しくPistoia Chemical Safety Libraryの提供が開始されたのです。 この新しいCSLプラットフォームを開発し、そしてホスティングしているCASは、情報管理、技術、そしてセキュリティに関する専門知識をもたらします。そのお陰で、この新生CSLは、確認されていた障害にも対処することができるのです。 データの入力は合理化され簡素化されているほか、データが確実に匿名化されるので安心できます。 また、例えば特定エンタープライズ用ELNなどに統合させ、内部利用したいという組織のために、データベース全体の提供も行っています。 なお、Pistoia Alliance、CAS、および学会や産業界など幅広い化学コミュニティの代表者で構成されるCSL諮問委員会が、コミュニティの入力内容を審査し、ポリシーやシステムの改善について助言しています。 

Chemical Safety Libraryロゴ
 

化学コミュニティーは皆さんの参加を必要としています

この拡張されたリソースの実現には胸が躍ります。 世界中の化学コミュニティ全体から安全性情報を敏速に収集し、発信する技術が初めて実現したのです。 もし我々が真に力を合わせてこのコレクションをクラウドソース化すれば、反応による事故を減らし、世界中の何万人もの化学者にとってラボをより安全にすることができます。

CASがホスティングするこの新しいCSLは、開始以来すでに96か国の8,000人以上のユーザーが利用しています。 次はあなたの番です。 CSLがどのように貴組織の安全性に役立つか、是非CSLを試してみてください。でもそこで止めないでください。 事故や危険な状況を経験したことがあるなら、CSLに入力し、全世界の人がその経験から学べるようにしましょう。

今こそコミュニティの安全を守るために力をお貸しください。 安全性データをCSLで共有する